『史記』項羽本紀を読んでみよう:その42

その41(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20181002/1538406239)の続き。





於是項王乃上馬騎、麾下壯士騎從者八百餘人、直夜潰圍南出、馳走。
平明、漢軍乃覺之、令騎將灌嬰以五千騎追之。項王渡淮、騎能屬者百餘人耳。
項王至陰陵、迷失道、問一田父、田父紿曰「左」。左、乃陷大澤中。以故漢追及之。
項王乃復引兵而東、至東城、乃有二十八騎。漢騎追者數千人。項王自度不得脱、謂其騎曰「吾起兵至今八歳矣、身七十餘戰、所當者破、所撃者服、未嘗敗北、遂霸有天下。然今卒困於此、此天之亡我、非戰之罪也。今日固決死、願為諸君快戰、必三勝之、為諸君潰圍、斬將、刈旗、令諸君知天亡我、非戰之罪也。」乃分其騎以為四隊、四嚮。漢軍圍之數重。項王謂其騎曰「吾為公取彼一將。」令四面騎馳下、期山東為三處。於是項王大呼馳下、漢軍皆披靡、遂斬漢一將。
是時、赤泉侯為騎將、追項王、項王瞋目而叱之、赤泉侯人馬倶驚、辟易數里與其騎會為三處。漢軍不知項王所在、乃分軍為三、復圍之。項王乃馳、復斬漢一都尉、殺數十百人、復聚其騎、亡其両騎耳。乃謂其騎曰「何如?」騎皆伏曰「如大王言。」
(『史記』巻七、項羽本紀)

項羽、垓下から脱出。




淮水を渡るという事は、南下していたという事であり、挙兵の地である呉(会稽郡)を目指したのだろう。



だが、道に迷った時に農民に道を尋ねたところ、その農民に騙されたために劉邦の追っ手に追い付かれたという。



項羽の勢力圏のはずの淮南で起こった心温まるエピソードである。





劉邦の追っ手が迫る中、「これは天がワイを滅ぼしたからこうなっているだけであって、ワイが戦に弱かったからやないんやで」とか言い出す項羽



逃げるためには我が子も捨てる劉邦は酷いが、このコメントも結構酷くないだろうか。そんな事言っている場合なのかと。



確かに項羽は強かった。実際にその武勇で一旦は絶体絶命の窮地を脱したようだ。




さあ、江南ももうすぐである。(フラグ)




項羽卒聞漢軍之楚歌、以為漢盡得楚地、項羽乃敗而走、是以兵大敗。
使騎將灌嬰追殺項羽東城、斬首八萬、遂略定楚地。
(『史記』巻八、高祖本紀)

なお、この時に楚兵は8万人討ち取られたらしい。



項羽が置き去りにしていった兵や、項羽の逃走に付いていけなかった兵たちなのだろう。