『史記』陳渉世家を読んでみよう:その10

その9(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180730/1532876846)の続き。





將軍田臧等相與謀曰「周章軍已破矣、秦兵旦暮至、我圍滎陽城弗能下、秦軍至、必大敗。不如少遺兵、足以守滎陽、悉精兵迎秦軍。今假王驕、不知兵權、不可與計、非誅之、事恐敗。」因相與矯王令以誅呉叔、獻其首於陳王。陳王使使賜田臧楚令尹印、使為上將。田臧乃使諸將李歸等守滎陽城、自以精兵西迎秦軍於敖倉。與戰、田臧死、軍破。章邯進兵撃李歸等滎陽下、破之、李歸等死。
陽城人訒説將兵居郯、章邯別將撃破之、訒説軍散走陳。銍人伍徐將兵居許、章邯撃破之、伍徐軍皆散走陳。陳王誅訒説。
(『史記』巻四十八、陳渉世家)

滎陽を包囲していた呉広たちたが、陥落させられないまま章邯が来る事となった。



だが、呉広の下の将たちは呉広に不安を感じ、彼を排除して章邯を迎え撃つ事にした。




あーもうめちゃくちゃだよ。




というか、この「大将がダメそうなので部下が大将をぶっ殺す」というのは、まんま項羽が宋義に対して行った事だ。




まあ、呉広の例も項羽の凶行も、こういう時代だから、という事もあったのだろう。




そして、楚王陳勝は最初の仲間であった呉広が策謀で殺されても、殺した相手を処分するどころか殺した側に官位を与えて追認したのだった。



しかし、呉広を殺した者たちは項羽ほど強くはなかったので、章邯に敗れて一巻の終わり。




楚王に危機が訪れていた。