『史記』陳渉世家を読んでみよう:その7

その6(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180725/1532444646)の続き。




武臣到邯鄲、自立為趙王、陳餘為大將軍、張耳・召騷為左右丞相。
陳王怒、捕繫武臣等家室、欲誅之。柱國曰「秦未亡而誅趙王將相家屬、此生一秦也。不如因而立之。」陳王乃遣使者賀趙、而徙繫武臣等家屬宮中、而封耳子張敖為成都君、趣趙兵亟入關。趙王將相相與謀曰「王王趙、非楚意也。楚已誅秦、必加兵於趙。計莫如毋西兵、使使北徇燕地以自廣也。趙南據大河、北有燕・代、楚雖勝秦、不敢制趙。若楚不勝秦、必重趙。趙乗秦之獘、可以得志於天下。」趙王以為然、因不西兵、而遣故上谷卒史韓廣將兵北徇燕地。
(『史記』巻四十八、陳渉世家)

武臣は趙に着くと早速独立して王を名乗った。



陳勝は怒って人質にしていた武臣らの家族を殺そうとしたが、臣下に諫められて止めた。




一方、趙の方では「楚が秦を倒したら次は趙が討たれる番だ。北の燕の方も勢力圏に加えておいて対抗しなければ。もし秦の方が勝ったとしたら、秦は趙の事を重んじるだろうし、秦の隙に乗じれば天下も狙える」などと、割と畜生な事を考えだす。





楚と趙の遺恨はここから始まる。


こんなことだから、そら楚の方では趙が章邯に包囲されていても放置しようって思うのではなかろうか。




そして趙は燕方面には韓広なる者を送り込む。