項羽の対楚戦略について

かの項羽は、国力では他より大きいと思われる関中(旧秦の直轄領)の王にならず、楚の王(西楚)になったという。




これについて、「故郷に錦を飾る」という意味合いもあったとは思うが、個人的には昨日の記事で指摘したように、「関中の兵・民に色々やらかしていて統治できそうになかった」という点も強かったように思う。




それともう一つの要素も指摘しておきたい。



というのは、項羽は元々楚王(懐王)が指名した大将宋義を殺して軍を乗っ取り、そのまま章邯を討って秦兵を埋めて関中に殴り込んだ。



楚の懐王にとって、項羽は少なくとも忠臣とは言い難い、というか反臣と見ていたかもしれない。宋義を大将にするという王命に背いたわけだから。




そして、本来大将になるべき地位ではなかったわけだから、項羽が総大将的なポジションに就く事については、懐王の下にいた楚の大臣・将たちにも面白くなかった者が少なくなかったのではなかろうか。




つまり、項羽は自分が楚に陣取っておかないと、こういった項羽に懐疑的、反抗的な主君や臣たちを抑えにくかったのではないか、という事だ。




項羽にとってみれば、楚にいれば盤石という事ではなく、楚にいないと反乱を起こされてジリ貧になる、という危惧があったのではないかと思われる。





項羽には、関中を他人に委ねて楚に戻るしか道が無かったのだ。