ちょっとした疑問

(陳)矯曰「王薨于外、天下惶懼。太子宜割哀即位、以繫遠近之望。且又愛子在側、彼此生變、則社稷危矣。」即具官備禮、一日皆辦。明旦、以王后令、策太子即位、大赦蕩然。
(『三国志』巻二十三、陳矯伝)

先日の記事で既に紹介した一文であるが、ここの「愛子在側」というのは一体だれを指しているのだろうか、と思う。





真っ先に思いつくのは曹植であるが、彼は曹操死去の時にどこにいたと考えるべきなんだろうか。


太祖以(曹)植為南中郎將・行征虜將軍、欲遣救(曹)仁、呼有所勅戒。植醉不能受命、於是悔而罷之。
(『三国志』巻十九、陳思王植伝)

曹操曹植を南中郎将・行征虜将軍に任命した後、曹植の酒の失敗から曹仁救出のため派遣するのは取りやめたそうだが、手元には置いていたのだろうか。




太祖東還、以(曹)彰行越騎將軍、留長安。太祖至洛陽、得疾、驛召彰、未至、太祖崩。
(『三国志』巻十九、任城威王彰伝)


それとも、もしかすると曹操によって呼び寄せられていた曹彰の事を指していたりするのだろうか。






自分としては、曹植しかいない、とまでは言い切れないような気もするんだよなあ・・・。