『漢書』元帝紀を読んでみよう:その13

その12(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180320/1521472220)の続き。




四年春正月、以誅郅支單于告祠郊廟。赦天下。羣臣上壽置酒、以其圖書示後宮貴人。
夏四月、詔曰「朕承先帝之休烈、夙夜栗栗、懼不克任。間者陰陽不調、五行失序、百姓饑饉。惟烝庶之失業、臨遣諫大夫博士賞等二十一人循行天下、存問耆老鰥寡孤獨乏困失職之人、舉茂材特立之士。相將九卿、其帥意毋怠、使朕獲觀教化之流焉。」
六月甲申、中山王竟薨。
藍田地沙石雍霸水、安陵岸崩雍芤水、水逆流。
(『漢書』巻九、元帝紀)


建昭4年。




郅支単于の誅殺は、漢王朝にとってはやはり大きな慶事だったのだろう。分裂した片方とはいえ匈奴の首長を討ち果たしたわけだから。



ただし、命令と偽って兵を動員した甘延寿・陳湯(特に陳湯)の罪をどうするか、まず議論となった。これは前回も書いた通りである。



そのあたりが議論になるのは当然で、「許されるべきでない」と釘を刺しておかないと今後も命令を偽ってでも功績を立てて恩賞を得ようとする者が出現しかねない、ということなのである。




この議論はこの年には終わらなかったようである。政権担当者としては扱いに相当苦労したのであろう。