『漢書』元帝紀を読んでみよう:その12

その11(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180319/1521385315)の続き。




三年夏、令三輔都尉・大郡都尉秩皆二千石。
六月甲辰、丞相(韋)玄成薨。
秋、使護西域騎都尉甘延壽・副校尉陳湯撟發戊己校尉屯田吏士及西域胡兵攻郅支單于。
冬、斬其首、傳詣京師、縣蠻夷邸門。
(『漢書』巻九、元帝紀)

建昭3年。




この年、丞相韋玄成が死去。先に出た皇帝廟改革の際の丞相である。



なお、韋玄成の父の韋賢も丞相であった。親子2代の丞相である。






西域都護の甘延寿と副校尉陳湯、西域の方へ移動していた郅支単于を討伐。



ただ、この時の動員は中央の命令と偽った独断専行であった。



しかも、副である陳湯が西域のトップ甘延寿の不在時に勝手に(しかも偽って)動員をかけたのだという。




彼らは郅支単于を討ち果たすが、その後に彼らの扱いを巡って議論が紛糾した。その辺などはこの記事も参照してもらえれば。