『漢書』宣帝紀を読んでみよう:その15

その14(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180219/1518966209)の続き。




三年春、以神爵數集泰山、賜諸侯王・丞相・將軍・列侯・二千石金、郎・從官帛、各有差。賜天下吏爵二級、民一級、女子百戸牛酒、鰥寡孤獨高年帛。
三月、詔曰「蓋聞象有罪、舜封之。骨肉之親粲而不殊。其封故昌邑王賀為海昬侯。」
又曰「朕微眇時、御史大夫丙吉・中郎將史曾・史玄・長樂衛尉許舜・侍中光祿大夫許延壽皆與朕有舊恩。及故掖庭令張賀輔導朕躬、修文學經術、恩惠卓異、厥功茂焉。詩不云乎?『無徳不報。』封賀所子弟子侍中中郎將彭祖為陽都侯、追賜賀諡曰陽都哀侯。吉・曾・玄・舜・延壽皆為列侯。故人下至郡邸獄復作嘗有阿保之功、皆受官祿田宅財物、各以恩深淺報之。」
夏六月、詔曰「前年夏、神爵集雍。今春、五色鳥以萬數飛過屬縣、翺翔而舞、欲集未下。其令三輔毋得以春夏擿巢探卵、彈射飛鳥。具為令。」
立皇子欽為淮陽王。
四年春正月、詔曰「朕惟耆老之人、髮齒墮落、向氣衰微、亦亡暴虐之心、今或罹文法、拘執囹圄、不終天命、朕甚憐之。自今以來、諸年八十以上、非誣告殺傷人、佗皆勿坐。」
遣大中大夫彊等十二人循行天下、存問鰥寡、覽觀風俗、察吏治得失、舉茂材異倫之士。
二月、河東霍徴史等謀反、誅。
三月、詔曰「乃者、神爵五采以萬數集長樂・未央・北宮・高寢・甘泉泰畤殿中及上林苑。朕之不逮、寡于徳厚、屢獲嘉祥、非朕之任。其賜天下吏爵二級、民一級、女子百戸牛酒。加賜三老・孝弟力田帛、人二匹、鰥寡孤獨各一匹。」
秋八月、賜故右扶風尹翁歸子黄金百斤、以奉其祭祀。又賜功臣適後黄金、二十斤。
丙寅、大司馬衛將軍安世薨。
比年豐、穀石五錢。
(『漢書』巻八、宣帝紀

元康3年、4年。




ゴシキセイガイインコあたりじゃないかとしか思えない「五色鳥」などの瑞祥が発見される。思うに、本来は即位できるような状況ではないのにも関わらず即位した宣帝は、神の使いであるインコが祝福しているという「裏付け」を必要としていたのだろう。





張賀、丙吉や史氏、許氏といった「宣帝即位前の恩人」たちに恩賞が与えられる。


是時、掖庭宮婢則令民夫上書、自陳嘗有阿保之功。章下掖庭令考問、則辭引使者丙吉知状。掖庭令將則詣御史府以視吉。吉識、謂則曰「汝嘗坐養皇曾孫不謹督笞、汝安得有功?獨渭城胡組・淮陽郭徴卿有恩耳。」分別奏組等共養勞苦状。詔吉求組・徴卿、已死、有子孫、皆受厚賞。詔免則為庶人、賜錢十萬。
(『漢書』巻七十四、丙吉伝)

なお、その中には「自分も陛下を養育しました」と申し出た婢女が居たが、丙吉が「お前はちゃんとしてなかったから罰を与えただろ」と指摘した、という話が残っている。これによって丙吉自身が宣帝の恩人であることが分かったのだという。





「河東の霍徴史」なる人物の謀反事件が発覚、処分された。



「河東の霍氏」というと霍光らの一族の可能性が高い。血縁が近ければ霍禹の乱の時点で連座していただろうから、遠縁なのだろう。おそらく、霍禹誅殺以降肩身が狭くなっていた事で何か良からぬ企みを考えたのではなかろうか。





張安世、死す。



わざと後継ぎ息子を辺境に出すように願い出るなど、やりすぎに思えるほど徹底的にとことん自分が目立つ事を避け続けた。



それは、霍光一族を反面教師にしたというだけではなく、自身の父親張湯が官僚間の争いで命を落とした事も反面教師にしていたということなのだろうと思う。