『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その36

その35(https://t-s.hatenablog.com/entry/2018/12/17/000100)の続き。





秋七月、有星孛于大角。大角為王坐。本志以為楚王亡之徴也。
八月、王饗師河南、欲復戰。郎中令鄭忠説曰、王高壁深壘勿與戰。王乃使從兄劉賈與廬綰將兵入楚地、佐彭越、焚楚積聚、復撃破楚師於燕西、下梁地十七城。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第二)

劉邦項羽の本拠である梁方面へ劉賈・廬綰を派遣する。



親族劉賈と幼馴染廬綰という信頼のおける腹心を派遣し、項羽の後方攪乱を行ったという事だろう。



それが出来るくらい劉邦項羽の勢力圏が接近したとも言えるだろうし、項羽の支配力が低下してゲリラ活動が容易になってきている、とも言えるのかもしれない。



このあたりは劉邦たちにとっても地元に近いので、劉賈らにとってもアウェイ感があまりなかったかもしれない。



彭越一人を撃退しきれずにいた項羽からすれば危険な援軍の到来であろう。