『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その34

その33(https://t-s.hatenablog.com/entry/20181212/1544541384)の続き。

 

 

 


 

 

 

陳平進謀曰、項王大臣不過數人、大王能捐數萬斤金、間楚君臣、使相疑惑、可以破楚必矣。
乃與陳平金四萬斤、不問出入。平多行反間、謂項羽曰、諸將功多矣、而終不得裂地而王、欲與漢為一以滅楚分王其地。項王疑之。
夏四月、楚圍漢王于滎陽。歷陽侯范增欲急撃滎陽、項羽不信。增怒乞骸骨歸、未到彭城、疽發背而死。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第二)

 

 

陳平、項羽と范増の離間に成功。陳平が冴えているのは言うまでもないが、相当な予算を与えた上に出入不問で自由に使わせた劉邦も評価すべきだろう。陳平は諸将からは悪い噂も聞こえてくるような人物であったのだから猶更である。

 

 

 

何にせよ、項羽はある意味で一番項羽のためを思っていたのではないかとも感じられる范増を自ら放逐したのであった。

 

 

項羽劉邦を包囲して優勢であるにも関わらず、項羽の方が不安要素が多くなっていくという不思議。