曹操の叔父

曹瞞傳云、太祖少好飛鷹走狗、游蕩無度。其叔父數言之於(曹)嵩。太祖患之、後逢叔父於路、乃陽敗面喎口、叔父怪而問其故、太祖曰「卒中惡風。」叔父以告嵩。嵩驚愕、呼太祖、太祖口貌如故。嵩問曰「叔父言汝中風、已差乎?」太祖曰「初不中風、但失愛於叔父、故見罔耳。」嵩乃疑焉。自後叔父有所告、嵩終不復信、太祖於是益得肆意矣。
(『三国志』巻一、武帝紀注引『曹瞞伝』)

この『曹瞞伝』の有名なエピソードだが、昔からここで出てくる「叔父」が曹操から見て具体的にどういう関係なのか気になって仕方ない。




現代的な「叔父」と同じであれば曹嵩の弟である曹氏ということになるが、曹嵩が曹騰の養子であることは『三国志』にも明記されている。では曹嵩の兄弟は曹嵩と(曹操と)血縁があるのだろうか、それとも無いのだろうか?




あるいは広い意味での「叔父」つまり親族中で傍系の尊属なのか。そうだとすれば曹騰の兄弟の子孫ということになるだろうから、曹嵩・曹操とは血縁関係に無い可能性が高い。だがそう言い切っていいのだろうか?




はたまた、曹嵩といえば元は夏侯氏であったとも言われている。この記事における「叔父」がこの夏侯氏(つまり曹嵩の実の兄弟や親族)という可能性もあるだろうか?





個人的には確実にこれだ、と思える決め手が思いつかないので、ずっとどういう関係なんだろうか、と不思議に思っている。





誰か明確な答えを教えてくれる人はいないものだろうか(他力本願)。