文帝による文帝批判

他日又從容言曰「顧我亦有所不取于漢文帝者三。殺薄昭。幸訒通。慎夫人衣不曳地、集上書囊為帳帷。以為漢文儉而無法、舅后之家、但當養育以恩而不當假借以權、既觸罪法、又不得不害矣。」
(『三国志』巻二、文帝紀注引『魏書』)

魏の文帝曹丕は「ワイは漢の文帝の業績の中でも取り上げないことが三つある。外戚の薄昭を殺した事。訒通を寵愛したこと。寵姫慎夫人の衣が地面を引きずらない短さだったり、文書を入れる袋を集めて帳として再利用していたりしたことだ」と言ったのだとか。




度を越した倹約、しみったれた事はやらんぞ、ということだろうか。良くも悪くも曹丕らしい感じがある。





ところで、他の事については分かるのだが、最後の「集上書囊為帳帷」って『史記』『漢書』の文帝の本紀にあったかな、と首をひねったのだが、どうやらそれ以外のところで言われていたことのようだ。




時天下侈靡趨末、百姓多離農畝。
上從容問(東方)朔「吾欲化民、豈有道乎?」
朔對曰「堯舜禹湯文武成康上古之事、經歴數千載、尚難言也、臣不敢陳。願近述孝文皇帝之時、當世耆老皆聞見之。貴為天子、富有四海、身衣弋綈、足履革舄、以韋帯劍、莞蒲為席、兵木無刃、衣縕無文、集上書囊以為殿帷。以道徳為麗、以仁義為準。於是天下望風成俗、昭然化之。今陛下以城中為小、圖起建章、左鳳闕、右神明、號稱千門萬戸。木土衣綺繡、狗馬被繢罽。宮人簪瑇瑁、垂珠璣。設戲車、教馳逐、飾文采、樷珍怪。撞萬石之鐘、撃雷霆之鼓、作俳優、舞鄭女。上為淫侈如此、而欲使民獨不奢侈失農、事之難者也。陛下誠能用臣朔之計、推甲乙之帳燔之於四通之衢、卻走馬示不復用、則堯舜之隆宜可與比治矣。易曰『正其本、萬事理。失之豪氂、差以千里。』願陛下留意察之。」
(『漢書』巻六十五、東方朔伝)

東方朔が漢の武帝に対して文帝の倹約を褒め称えて武帝の建築癖や贅沢を抑えるべしと唱える中で、「文帝は文書を入れる袋を集めて帳として再利用していました」と言っている。



これが曹丕の話のオリジナルなのか、東方朔の時点で良く知られていた文帝の倹約話だったのかは知らないが、きっとこれは「全盛期の文帝伝説」の一つなのだろう(というか、風俗通先生こと応劭が記す当時の文帝伝説の中にあるが、劉向及び応劭曰く真実ではないのだという)。