呉質乱舞の理由について一考

昨日の記事(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20170804/1501772755)について思ったのだが、呉質に対して朱鑠が「陛下使吾等來樂卿耳、乃至此邪!」と言っている。



これは、「陛下(曹丕)は我らに貴方(呉質)を楽しませるよう命じた」という意味のようである。




また、当該部分の最初に「詔上將軍及特進以下皆會質所、大官給供具。」と言っている。



皇帝である曹丕が将軍たちや列侯(特進)たちに「呉質のところで宴会をしろ」と命じ、その宴会の飲食物やら飾りやら余興やらは皇帝自身のために用意されるものをそのまま使わせた、ということになるようだ。




この宴会は、呉質の元での宴会だが、呉質がもてなされるための宴会であり、しかも皇帝じきじきの勅命によるものであった、ということだ。




曹真をハート様扱いした余興も、おそらくは皇帝直属の道化が演じたものなのだろう。





だから、皇帝の道化の言うことに文句を付けてきて宴会をぶち壊しにした曹真というのは、呉質から見れば皇帝の勅命を守らないことになり、「何敢恃勢驕邪?」と言っているように曹真の方が権勢をバックにやりたい放題であると呉質からは見えたのではなかろうか。



それは変にとりなそうとした朱鑠にも言えたのかもしれない。これはいわば重罪人を庇いだてしている、と呉質からは見えたのではなかろうか。





『呉質別伝』の当該部分の内容は、呉質の傍若無人さ、曹丕を後ろ盾に好き放題やっている、という印象が強く残るような感じではあるが、呉質から見るとあのような強い態度にも理由はあったのかもしれない。


あの宴会をぶち壊しにしようとする連中は皇帝に対する造反も同然なのだから、厳しく対処して当然、ということではなかろうか。