あぶさん

傳語曰「文王飲酒千鍾、孔子百觚。」欲言聖人徳盛、能以徳將酒也。
如一坐千鍾百觚、此酒徒、非聖人也。飲酒有法、胸腹小大、與人均等、飲酒用千鍾、用肴宜盡百牛、百觚則宜用十羊。夫以千鍾百牛・百觚十羊言之、文王之身如防風之君、孔子之體如長狄之人、乃能堪之。案文王・孔子之體、不能及防風・長狄、以短小之身、飲食衆多、是缺文王之廣、貶孔子之崇也。
(『論衡』語増篇)

「周の文王はピッチャー千個分、孔丘先生はジョッキ百個分も酒を飲んだ。聖人は徳が盛んであるので、その徳で酒を飲むことができた」といったような話が後漢の頃にはあったようだ。




聖人と酒って関係あるんやろか、と思わないでもないが、当時の人にとっては何か関係があると思っていたのだろう。



王充は「そんなに酒を飲むヤツは聖人じゃなくてただの呑兵衛やろ」って言ってこの話自体を疑っているし、まあ現代の人間なら誰もがそう思うところだろうが。