『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その27

その26の続き。


四月、遣太師王匡・更始將軍廉丹東、祖都門外、天大雨、霑衣止。長老歎曰「是為泣軍!」
莽曰「惟陽九之阸、與害氣會、究于去年。枯旱霜蝗、飢饉薦臻、百姓困乏、流離道路、于春尤甚、予甚悼之。今使東嶽太師特進襃新侯開東方諸倉、賑貸窮乏。太師公所不過道、分遣大夫謁者並開諸倉、以全元元。太師公因與廉丹大使五威司命位右大司馬更始將軍平均侯之兗州、填撫所掌、及青・徐故不軌盜賊未盡解散、後復屯聚者、皆清潔之、期於安兆黎矣。」
太師・更始合將鋭士十餘萬人、所過放縱。
東方為之語曰「寧逢赤眉、不逢太師!太師尚可、更始殺我!」卒如田況之言。
(『漢書』巻九十九下、王莽伝下)

四月、太師王匡・更始将軍廉丹を東方に派遣することとし、都門の外で送別会を開いたが、大雨が降り、衣を潤すほどとなってやっと止まった。長老は「これは天が軍のために涙を流しているのだ」と嘆いた。



王莽は言った。
「思うに、陽の気が極まって有害な気と出会い、去年がその極大であった。草木が枯れ、日照り、霜、イナゴの害や飢饉がしばしば起こり、人々は困窮して道をさまよい、春がもっともひどかった。予は大変悲しく思う。
今、東嶽太師・特進・襃新侯(王匡)に東方の食料庫を開けて困窮している者に施すよう命じた。太師公が通らない地域については大夫・謁者を派遣して食料庫を開けさせ、民を助ける。
太師公は五威司命・右大司馬・更始将軍・平均侯の廉丹と兗州へ向かわせ、司る地域を鎮撫させる。また青州・徐州の言う事を聞かない群盗がまだ解散しつくしておらず、また集まってきている者もおるので、みな綺麗に討滅し、万民を安んじることを願う者である。」



しかし太師・更始将軍が率いる精鋭の兵士十万以上は、通過するところで好き勝手した。
そのため東方では「赤眉に遭遇することがあっても太師の軍には遭遇するな。太師はまだいい、更始将軍は我々を殺してしまう」と言いあった。



赤眉、王匡・廉丹との戦いが近づく。




食料不足などが蔓延する中で大軍を集めているわけで、その軍をなんとか言う事を聞かせるためには食料などをやらないではいられないだろう。
ただ、もしそもそも軍糧だって乏しいだろう。
その行きつく先は、「自給自足」しつつの行軍、だったのではないだろうか。



もちろん民にとっては迷惑千万な話であり、赤眉の方がマシ、とまで現地人が言うのも当然と言えよう。