『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その21

その20の続き。


莽以王況讖言荊楚當興、李氏為輔、欲厭之、乃拜侍中掌牧大夫李棽為大將軍・揚州牧、賜名聖、使將兵奮撃。
上谷儲夏自請願説瓜田儀。莽以為中郎、使出儀。儀文降、未出而死。莽求其尸葬之、為起冢・祠室、諡曰瓜寧殤男、幾以招來其餘、然無肯降者。
閏月丙辰、大赦天下、天下大服民私服在詔書前亦釋除。
郎陽成脩獻符命、言繼立民母、又曰「黄帝以百二十女致神僊。」莽於是遣中散大夫、謁者各四十五人分行天下、博采郷里所高有淑女者上名。
(『漢書』巻九十九下、王莽伝下)

王莽は王況が荊州・楚の方面から新たな君主が興り。李氏がその補佐となるという予言をしたということから、侍中・掌牧大夫の李棽を大将軍・揚州牧とし、「聖」という名を下賜し、兵を率いて反乱者を討たせた。



上谷の儲夏が自ら瓜田儀を説得したいと願い出た。王莽は彼を中郎として瓜田儀を降伏させようとした。瓜田儀は降伏するという文書を出したが、実際に降ってくる前に死去した。王莽は瓜田儀の死体を探し求めて葬ってやり、彼のために墓や祠を作り、「瓜寧殤男」という諡号を賜い、他の群盗を招き寄せようとしたが、降伏してくる者は無かった。



閏月丙辰、天下に大赦令を下し、皇后の喪に服する者、私的な喪に服する者で詔書以前から服している者も、みな服喪を止めさせた。



郎の陽成修が天からの「民の母をまた立てるべき」という予言を献上し、「黄帝は百二十人の女性によって神や仙人の仲間入りをした」と述べた。
王莽はそこで中散大夫、謁者それぞれ四十五人を派遣し、分担して各地の高名な淑女を広く調べてその名を報告させた。



予言によって皇帝になったと言ってもいい王莽が、出所が怪しくても広まっていた予言を無視できるはずがない。


というわけで、王莽は自分の部下に荊楚で活躍する李氏を仕立て上げることで、予言を自分の手元で成就させるという手に出たようだ。





瓜田儀は以前出てきた長江の賊。儲夏とやらがどうやって説得したか分からないが、瓜田儀は王莽に降伏しようとしたらしい。






「民の母」とはつまり天下全ての母と言うべき皇后のことを指すのだろう。この国事多難なこの時期に王莽は新たな皇后を立てようとし始めるということだ。



とはいえ、これは王莽が個人的に再婚したいとかそういうことではなく、皇帝と皇后は一対という考え方から、いつまでも皇后が不在のままというのは望ましくない、という理念があったからだと思われる。



世間がどう思ったのかはわからないが。