『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その7

その6の続き。


六年春、莽見盜賊多、乃令太史推三萬六千歳暦紀、六歳一改元、布天下。
下書曰「紫閣圖曰『太一・黄帝皆僊上天、張樂崑崙虔山之上。後世聖主得瑞者、當張樂秦終南山之上。』予之不敏、奉行未明、乃今諭矣。復以寧始將軍為更始將軍、以順符命。易不云乎?『日新之謂盛徳、生生之謂易。』予其饗哉!」欲以誑燿百姓、銷解盜賊。衆皆笑之。
初獻新樂於明堂・太廟。羣臣始冠麟韋之弁。或聞其樂聲、曰「清窅而哀、非興國之聲也。」
(『漢書』巻九十九下、王莽伝下)

  • 天鳳六年(紀元19年)

天鳳六年春、王莽は群盗が多いことを見て、太史に三万六千年の暦から推計させて六年ごとに改元すべきと考え、天下に布告した。



その命令でこう言った。「紫閣図では「泰一・黄帝はみな仙人となって天に上り、崑崙山の上で音楽を奏でた。後世の聖天子で瑞祥を得た者は、秦の土地にある終南山の上で音楽を奏でるべきである」と言っている。予は愚かにも天子となりながらそれを行わないでいたが、今は天の予言によって諭された。寧始将軍を更始将軍と改称して天の予言に合致させる。『易経』で言っているではないか。「日々新たになる、これを盛んな徳と言い、次々生じて絶えることがない、これを易と言う」と。予は音楽を天に献じようではないか」



このようにして民を騙して鼓舞し、群盗を解消しようとしたが、人々はみなこれを笑うばかりであった。



初めて新王朝の音楽を明堂・太廟において献上した。群臣は初めて鹿の皮の冠を着けた。ある者はその音楽の音色を聴いて「清らかで厳かであるが物悲しい。王朝が勃興するときの音楽ではない」と評した。


なんで寧始将軍を更始将軍に変えることが予言との一致になるのかよくわからないが、とにかく王莽の予言に自分を合わせる、というオインゴ・ボインゴ兄弟みたいな方針だけはブレない。