『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その2

その1の続き。


是歳、復明六筦之令。毎一筦下、為設科條防禁、犯者罪至死、吏民抵罪者浸衆。
又一切調上公以下諸有奴婢者、率一口出錢三千六百、天下愈愁、盜賊起。
納言馮常以六筦諫、莽大怒,免常官。
置執法左右刺姦。選用能吏侯霸等分督六尉・六隊、如漢刺史、與三公士郡一人從事。
(『漢書』巻九十九下、王莽伝下)

この年、また六種の管理について命令を明らかにした。一種ごとに違反条項を設け、違反者の罪は死罪にまで至った。官吏や民で罪に当たる者は次第に増えて行った。



また上公以下の奴婢を所有する者全てに対し、奴婢一人あたり三千六百銭を出させた。天下はいよいよ憂うるようになり、群盗が起こるようになった。



納言の馮常が六種の管理について諫言したところ、王莽は激怒して馮常を罷免した。



執法左右刺姦を置いた。有能な官吏の侯覇らを選んで六尉・六隊を分担して漢の刺史のように監督し、三公の士を郡ごとに一人従事させた。



王莽、奴婢所有者に課税する。王莽はもしかして奴婢の良民化をテーマにしていたのだろうか?




侯霸字君房、河南密人也。
族父淵、以宦者有才辯、任職元帝時、佐石顯等領中書、號曰大常侍。成帝時、任霸為太子舍人。
霸矜嚴有威容、家累千金、不事産業。篤志好學、師事九江太守房元、治穀梁春秋、為元都講。
王莽初、五威司命陳崇舉霸徳行、遷隨宰。縣界曠遠、濱帯江湖、而亡命者多為寇盜。霸到、即案誅豪猾、分捕山賊、縣中清靜。
再遷為執法刺姦、糾案埶位者、無所疑憚。後為淮平大尹、政理有能名。
及王莽之敗、霸保固自守、卒全一郡。
(『後漢書』列伝第十六、侯覇伝)


ここで出てくる侯覇というのは光武帝の時に尚書令、大司徒となった侯覇のことなのだろう。