『漢書』王莽伝を読んでみよう:中その42

その41の続き。


三年二月乙酉、地震、大雨雪、關東尤甚、深者一丈、竹柏或枯。
大司空王邑上書言「視事八年、功業不效、司空之職尤獨廢頓、至乃有地震之變。願乞骸骨。」
莽曰「夫地有動有震、震者有害、動者不害。春秋記地震、易繫坤動、動靜辟脅、萬物生焉。災異之變、各有云為。天地動威、以戒予躬、公何辜焉、而乞骸骨、非所以助予者也。使諸吏散騎司祿大衛脩寧男遵諭予意焉。」
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)

  • 天鳳三年(紀元16年)

天鳳三年二月乙酉に地震があり、大雪が降り、関東が特に酷く、一丈も積もるところがあり、竹や柏の木でも枯れるものがあった。



大司空王邑は上奏した。「私がこの任に就いてから八年、業績も上がらず、司空の行うべき仕事が回っていないため、地震という天変地異が起こりました。職を辞することを願います」



王莽は言った。「地面の振動には「動」と「震」があり、「震」は被害があるもの、「動」は被害がなかったものを言う。『春秋』は地震を記し、『易経』繫辞に「坤の動き」を言い、地面が動いたり収まったりし、万物がそこから生じるとしている。天変地異はそれぞれ理由があると言う。天地が動くのは予の身に対する警告であり、どうして公の罪であろうか。しかるに辞職しようというのは、予を助けることにはならない。諸吏・散騎・司禄大衛・修寧男遵に予の考えを伝えさせる。」



なんか地震よりも大雪の方が被害としては深刻な気もするが、王莽たちは地震の方を重要視している感じである。



天の警告としての天変地異の中で、地震の方がグレードが上なのかもしれない。