『漢書』王莽伝を読んでみよう:中その34

その33の続き。


是歳、烏孫大小昆彌遣使貢獻。大昆彌者、中國外孫也。其胡婦子為小昆彌、而烏孫歸附之。
莽見匈奴諸邊並侵、意欲得烏孫心、乃遣使者引小昆彌使置大昆彌使上。
保成師友祭酒満昌劾奏使者曰「夷狄以中國有禮誼、故詘而服從。大昆彌、君也、今序臣使於君使之上、非所以有夷狄也。奉使大不敬!」莽怒、免昌官。
西域諸國以莽積失恩信、焉耆先畔、殺都護但欽。
十一月、彗星出、二十餘日、不見。
是歳、以犯挾銅炭者多、除其法。
明年改元天鳳
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)

この年、烏孫の大昆彌・小昆彌が使者を遣わして貢物をした。大昆彌は漢の人間の血を引いていた。匈奴の女性の子が小昆彌であり、烏孫は小昆彌に付き従っていた。
王莽は匈奴や諸民族がこぞって辺境を攻撃していたため、烏孫の歓心を得ようと思い、使者を派遣して小昆彌の使者を大昆彌の使者の上座に置かせた。



保成師友祭酒の満昌が使者を弾劾して言った。「異民族は中国に礼や義を重んじるからこそ膝を屈して服従しているのです。大昆彌とは君主であるのに、今、臣下である小昆彌を君主である大昆彌の上に置くのは、異民族を従えさせるためにはなりません。使者となりながら大不敬の罪を犯しております!」これに対して王莽は怒って満昌を罷免した。



西域諸国に対して王莽が恩義や威信を失い続けていたため、焉耆がまず反旗を翻し、都護の但欽を殺した。



十一月、彗星が出現し、二十日あまりして見えなくなった。



この年、銅や炭を所持するという罪を犯す者が多かったため、その罪を廃止した。


翌年から天鳳改元することとした。


烏孫とは今のキルギスあたりにあった国で、もちろん本来は匈奴の影響下にあったのだが、漢が西域に進出する中で漢が烏孫の王族に対して劉氏の娘(王の子)を娶らせ、最終的に彼女が生んだ漢の血を引く子を王(大昆彌)、匈奴の女性の生んだ子を副王とでも言うべき小昆彌として国を二分した。
王莽は、現地で支持されていたのが小昆彌であったという実情から、烏孫の支持を強めるために敢えて小昆彌の方を上位に置こうとしたということのようだ。


これまた波乱を生みそうな措置であるが・・・。




西域都護というと中国側における西域の事実上の支配者であるわけで、これが殺されるということは西域においては重大事件だろう。漢の宣帝以来続いていた中国による西域支配が、ついに崩れる時が来たのである。