烈祖様、裁判に熱心

冬十月、改平望觀曰聽訟觀。
帝常言「獄者、天下之性命也」、毎斷大獄、常幸觀臨聽之。
(『三国志』巻三、明帝紀、太和三年)

魏の明帝曹叡こと烈祖様は、重要な裁判については自らも聞いていた、という話がある。



魏略曰、(秦)朗游遨諸侯間、暦武・文之世而無尤也。及明帝即位、授以内官、為驍騎將軍・給事中、毎車駕出入、朗常隨從。時明帝喜發舉、數有以輕微而致大辟者、朗終不能有所諫止、又未嘗進一善人、帝亦以是親愛。
(『三国志』巻三、明帝紀、青龍元年十月、注引『魏略』)

その烈祖様は、犯罪の摘発を喜び、軽い罪であっても極刑とすることがしばしばあった、との証言がある。


取り調べや断罪そのものは役人たちの仕事だろうが、烈祖様じきじきに裁判を見ていた中でこういった評価がされていたということは、担当の役人も烈祖様の意を汲んだ摘発、意を汲んだ裁判を行う傾向が強かったことだろう。



烈祖様の時代は死刑の多い時代であり、それは烈祖様自身の熱心さに起因していた、ということになるかもしれない。*1

*1:この記事はhttps://twitter.com/Jominian/status/851576982051500032を参考に書いたものである。