『漢書』王莽伝を読んでみよう:中その22

その21の続き。


初、甄豐・劉歆・王舜為莽腹心、倡導在位、襃揚功徳。「安漢」「宰衡」之號及封莽母・両子・兄子、皆豐等所共謀。而豐・舜・歆亦受其賜、並富貴矣、非復欲令莽居攝也。居攝之萌、出於泉陵侯劉慶・前莩光謝囂・長安令田終術。莽羽翼已成、意欲稱攝。豐等承順其意、莽輒復封舜・歆両子及豊孫。豐等爵位已盛、心意既滿、又實畏漢宗室・天下豪桀。而疏遠欲進者、並作符命、莽遂據以即真、舜・歆内懼而已。
豐素剛強、莽覺其不説、故徙大阿右拂・大司空。豐託符命文為更始將軍、與賣餅兒王盛同列。豐父子默默。
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)

当初、甄豊・劉歆・王舜は王莽の腹心であり、大臣たちを先導し、王莽の功績や徳を称揚した。「安漢公」「宰衡」の称号や王莽の母、二人の子供、兄の子供を封建することなどは、どれも甄豊らが謀ったことであった。しかし甄豊・劉歆・王舜は下賜を受けて富貴となると、王莽が天子の代理となることは望まなかった。王莽が天子を代行することは泉陵侯劉慶・前莩光謝囂・長安令田終術から始まったのである。
王莽は助ける羽翼となる者たちが揃うと天子の代理を称しようと考えるようになった。甄豊らはその意に従い、王莽はまた王舜・劉歆の子と甄豊の孫を封建した。
甄豊らは爵位が既に高くなり、既に満ち足りた思いを抱き、また漢の宗室や天下の豪傑たちを恐れた。しかし疎遠な身から栄達しようとする者たちはみな天命の予兆を偽作し、王莽は遂に真・天子となった。王舜・劉歆は内心恐れを抱くばかりであったが、甄豊は平素より剛直な人物であり、王莽は彼が現状に不満を持っていると感じたため、大阿右拂・大司空に異動させた。甄豊は予言書に基づき更始将軍となり、餅売りの王盛らと同列であったため、甄豊親子は不満げであった。



王莽と功臣たちの不協和音。



この三人は王莽の意を実現させてきた重臣たちであり、さらに王舜は同族であり、劉歆は思想的な面でも王莽政権を支えてきたと言いうる。



王莽が自らにも臣下にも予言書人事を行っていくと、予言書人事の推進者と旧来の重臣との間の軋轢が強まっていったのだろう。


その結果どうなるのかは続く。