その17の続き。
二年二月、赦天下。
五威將帥七十二人還奏事、漢諸侯王為公者、悉上璽綬為民、無違命者。封將為子、帥為男。
初設六筦之令。命縣官酤酒、賣鹽鐵器、鑄錢、諸采取名山大澤衆物者税之。又令市官收賤賣貴、賒貸予民、收息百月三。犧和置酒士、郡一人、乗傳督酒利。
禁民不得挾弩鎧、徙西海。
匈奴單于求故璽、莽不與、遂寇邊郡、殺略吏民。
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)
- 始建国二年(紀元10年)
始建国二年二月、天下に恩赦令を下した。
五威将・帥七十二人が帰還し、漢の諸侯王で公になった者はみな璽綬を献上して民となり、命令に逆らう者は無かったと報告した。五威将を子爵に封じ、帥を男爵に封じた。
初めて六種を管理する命令を儲けた。酒・塩・鉄器販売、貨幣鋳造、名のある山や沢から獲れる物に税をかけた。また市場の監督官に安く収めて高く売らせ、民に百銭を貸して月三銭の利息を取るようにさせた。
また犧和の属官として酒士を郡ごとに一人置き、早馬に乗って酒の専売利益を監督させた。
民に弩や鎧を所持するのを禁じ、違反者を西海郡に強制移住させた。
五威将は12人で、将ごとに帥が6人いたということなので、全部で72人だったようだ。
民に100銭を貸しつけて月3銭の利息ということだが、一年では利息は36銭ということになる。
つまり年利36%だ。現代日本人から見るとグレーゾーン金利を超えているようにしか思えないが、当時の感覚でこの金利が暴利なのか、それともむしろ優しいくらいだったのか、ここだけではイマイチわからない。
そして案の定暴れ出す匈奴。早くも新王朝の綻びが表面化しだした。