『漢書』王莽伝を読んでみよう:上その37

その36の続き。


(張)竦因為(劉)嘉作奏曰、建平・元壽之間、大統幾絶、宗室幾棄。頼蒙陛下聖徳、扶服振救、遮扞匡衛、國命復延、宗室明目。臨朝統政、發號施令、動以宗室為始、登用九族為先。並録支親、建立王侯、南面之孤、計以百數。收復絶屬、存亡續廢、得比肩首、復為人者、嬪然成行、所以藩漢國、輔漢宗也。建辟雍、立明堂、班天法、流聖化、朝羣后、昭文徳、宗室諸侯、咸益土地。天下喁喁、引領而歎、頌聲洋洋、滿耳而入。國家所以服此美、膺此名、饗此福、受此榮者、豈非太皇太后日昃之思、陛下夕綃之念哉!何謂?亂則統其理、危則致其安、禍則引其福、絶則繼其統、幼則代其任、晨夜屑屑、寒暑勤勤、無時休息、孳孳不已者、凡以為天下、厚劉氏也。臣無愚智、民無男女、皆諭至意。
而安衆侯崇乃獨懷悖惑之心、操畔逆之慮、興兵動衆、欲危宗廟、惡不忍聞、罪不容誅、誠臣子之仇、宗室之讎、國家之賊、天下之害也。是故親屬震落而告其罪、民人潰畔而棄其兵、進不跬歩、退伏其殃。百歳之母、孩提之子、同時斷斬、懸頭竿杪、珠珥在耳、首飾猶存、為計若此、豈不誖哉!
(『漢書』巻九十九上、王莽伝上)

張竦は劉嘉のために上奏した。



建平から元寿年間、皇帝の血統は途絶えそうになり、宗室も見捨てられそうになりましたが、陛下の聖なる徳を蒙って助け守られ、命脈は伸びることになり、宗室も明るい未来を取り戻しました。朝廷での政治に臨み号令を発する際にも宗室から始め、親族を登用することを先に行っておりました。分家を多数並ばせて王侯を立て、南に向かって座して「孤」と称する者が百人単位となりました。途絶えた親族の系統を復活させてまた人々と肩を並べることができた者も多数おります。そして漢王朝の藩屏となり、宗家を助けるのです。
辟雍・明堂を建立し、天の決まりを並べ、聖なる教化を広め、朝廷で君主たちに臨み、文教の徳を明らかにし、宗室や諸侯はみな領土を加増されています。人々は顔を上げて口を開き、首を引いて嘆息し、称える声が数多く耳いっぱいに入ってきます。天子がその素晴らしさに感服し、その名を受け、その福を受け、その栄光を受けたのは、太皇太后が日夜思い続け、陛下が夕方に至るまで恐れつつしんでいたからではないでしょうか。
それは何を言いたいのでしょうか?乱れが生じたら収めるようにし、危うければ安定するようにし、禍があれば福に転じるようにし、途絶えれば復興させるようにし、幼ければ代行するようにし、日夜あくせくと働き、寒暑に関わらず働いて休息せず、怠けることがなかったのは、天下のため、劉氏のためだったのです。賢明な臣下もそうでない者も、男も女も、みなそれを理解しております。



しかるに安衆侯劉崇は背く心を抱き、兵を挙げて宗廟を危うくしようとしました。聞くに堪えない悪、許されざる罪であり、臣下の仇、宗室の敵、天子の賊であります。故に親族でさえも震えあがってその罪を自白し、民も潰走して武器を捨て、進んでも半歩も進めず、退いても禍を受けるだけだったのです。百歳になる母親も、まだ幼い子供も、みな同時に斬首されて首を掲げられ、まだ耳飾りや首飾りも付いております。はかりごとをしながらこのようなありさまとは、なんと血迷ったことでありましょうか。



張竦、またも他人のために王莽を褒め称える上奏文を作る。




「劉氏のために働いた安漢公に逆らうとは劉氏の風上にも置けないクズ野郎だ」というわけである。



この時点では確かに王莽は途絶えていた王や列侯の復活などを多数行っているので、そのように言いうる余地は確かにある。