江湖の賊

遣執金吾候陳茂假以鉦鼓、募汝南・南陽勇敢吏士三百人、諭説江湖賊成重等二百餘人皆自出、送家在所收事。重徙雲陽、賜公田宅。
(『漢書』巻十二、平帝紀、元始二年)

王莽が権力を握った漢の平帝の時、「江湖の賊」成重らを下すために汝南・南陽から兵を募り、その威勢をもって成重らを降伏させた、という。



この賊の勢力圏はもしかして新末の反乱勢力である平林・新市等の勢力の興ったあたりなのだろうか。



かなり年数が経っているので残党ということではないだろうが、そういった勢力が興りやすい場所であることと、南陽とは位置的に当然ではあるが密接な関係が元からあった、ということは確認できるかもしれない。



莽拜將軍九人、皆以虎為號、號曰「九虎」、將北軍精兵數萬人東、内其妻子宮中以為質。・・・(中略)・・・六虎敗走。史熊・王況詣闕歸死、莽使使責死者安在、皆自殺。其四虎亡。三虎郭欽・陳翬・成重收散卒、保京師倉。
(『漢書』巻九十九下、王莽伝下)


なお、王莽が新王朝末期に立てた「九虎将軍」の中に「成重」という名が見える。



少々年が離れているが、ありえない年数でもないので、この「九虎将軍成重」と「江湖の賊成重」は同一人物なのかもしれない。