『漢書』王莽伝を読んでみよう:上その14

その13の続き。


莽欲以虚名説太后、白言「親承前孝哀丁・傅奢侈之後、百姓未贍者多、太后宜且衣虵練、頗損膳、以視天下。」
莽因上書、願出錢百萬、獻田三十頃、付大司農助給貧民。於是公卿皆慕效焉。
莽帥羣臣奏言「陛下春秋尊、久衣重練、減御膳、誠非所以輔精氣、育皇帝、安宗廟也。臣莽數叩頭省戸下、白爭未見許。今幸頼陛下徳澤、間者風雨時、甘露降、神芝生、蓂莢・朱草・嘉禾、休徴同時並至。臣莽等不勝大願、願陛下愛精休神、闊略思慮、遵帝王之常服、復太官之法膳、使臣子各得盡驩心、備共養。惟哀省察!」
莽又令太后下詔曰「蓋聞母后之義、思不出乎門閾。國不蒙佑、皇帝年在襁褓、未任親政、戰戰兢兢、懼於宗廟之不安。國家之大綱、微朕孰當統之?是以孔子見南子、周公居攝、蓋權時也。勤身極思、憂勞未綏、故國奢則視之以儉、矯枉者過其正、而朕不身帥、將謂天下何!夙夜夢想、五穀豐孰、百姓家給、比皇帝加元服、委政而授焉。今誠未皇于輕靡而備味、庶幾與百僚有成、其勗之哉!」毎有水旱、莽輒素食、左右以白。
太后遣使者詔莽曰「聞公菜食、憂民深矣。今秋幸孰、公勤於職、以時食肉、愛身為國。」
莽念中國已平、唯四夷未有異、乃遣使者齎黄金幣帛、重賂匈奴單于、使上書言「聞中國譏二名、故名囊知牙斯今更名知、慕從聖制。」又遣王昭君女須卜居次入侍。
所以誑耀媚事太后、下至旁側長御、方故萬端。
(『漢書』巻九十九上、王莽伝上)

王莽は虚名によって元后を喜ばせようと思い、こう申し出た。「哀帝外戚丁・傅氏の奢侈の後を受けて人々にはまだ助けられていない者も多いので、太后はしばらく白い絹の衣を着て、食事の膳を減らし、天下に倹約を示すべきです」



王莽はそこで銭百万枚を出し、田三十頃を献上して大司農に預けて貧民救済に当てさせた。そこで大臣たちもみなそれに倣った。



王莽は群臣を率いて上奏した。「陛下はご高齢にも関わらず白い絹の衣を着て食事の膳を減らしておりますが、心身をいたわり、皇帝を養い、宗廟を安定させる上ではよろしくありません。私王莽も何度も門の前で頭を打ちつけてお止めしましたが許されておりません。今は幸いにも太皇太后陛下の徳がいきわたって風雨は気候通りであり、甘露や神芝などの瑞祥が現われております。私どもは陛下が心身を休め、本来の衣服に着替え、食事も元通りにしていただくことを願わずにはいられません。そうして我らが陛下をお世話することが喜びであります。陛下にはぜひお考えいただきたい」



王莽は元后に詔を出させた。「聞いたところでは皇太后というものは、思考は門を出ないものであるという。漢王朝は天佑を蒙らず、皇帝が幼年で親政に耐える状態ではなく、宗廟を守ることができないのではないかと戦々恐々としていた。王朝を守ることができるのは朕以外に誰がいたであろうか?孔子が南子に面会したり、周公旦が王の政務を摂政したというのは、仮の措置であったのだろう。自ら苦労を重ね、それが休まることはない。奢侈であるときに節約を示し、歪みを矯正するために元の角度以上に曲げるというのに、朕が自ら率先することができないというのでは、天下に対して何と言えるであろうか。日夜、五穀は豊穣となり、民がみな満ち足りて、皇帝が元服して政治を返上するのを夢見ている。今は本当にまだ軽く華やかな衣装に戻したり食事を本来の品数にしているような状況ではない。願わくは百官と共に成し遂げたいと思う。おのおの努力せよ」



王莽は洪水や日照りがあるたびに自ら粗末な食事を取り、左右の者がそれを元后に報告した。元后は使者をやって王莽に命じた。「聞くところでは公(王莽)は野菜だけで食事を取っているという。民はみな公のことを憂いている。この秋は幸いにして豊作なので、肉を食べるようにし、天下のため体をいたわるように」




王莽は中国が既に平和であるが周辺異民族はまだであると思い、使者を送って匈奴単于に贈り物をし、このような文書を出させた。「聞いたところでは中国では二文字の名前を批判しているというので、我が名「囊知牙斯」を「知」と改め、漢王朝の神聖なる制度に合わせようと思う」



また王昭君の娘の須卜居次*1を朝廷に送り込ませた。




このようにして元后やその側近たちをあらゆる手段で媚びへつらい歓心を買ったのである。




もう王莽お得意と言っていいだろう。自作自演をも交えたアピールについては相当な手腕があるのではなかろうか。






また、かの有名な「二文字の禁」らしきものがここに見える。



ただ、匈奴単于が言っているところでは、「禁止した」ではないようなので、律令で二文字名が禁じられたということではなく、当時の風潮の中に「二文字名はDQNネームである」的なものがあった、ということなのではなかろうか。

*1:漢書匈奴伝下によると「須卜居次」とは「須卜」氏の「居次」という称号(姫、みたいな意味であるらしい)だそうだ。