光武帝逮捕さる

樊曄字仲華、南陽新野人也。與光武少游舊。建武初、徴為侍御史、遷河東都尉、引見雲臺。
初、光武微時、嘗以事拘於新野、曄為市吏、餽餌一笥。帝徳之不忘、仍賜曄御食、及乗輿服物。因戲之曰「一笥餌得都尉、何如?」曄頓首辭謝。
(『後漢書』列伝第六十七、酷吏列伝、樊曄)


後漢初期の樊曄は光武帝劉秀と昔からの知り合いだった。




光武帝の挙兵前、光武帝南陽郡の新野県で官に拘束される事態に陥ったらしい。



樊曄はその時にジェイルハウスロックされた光武帝に食事を差し入れした。




光武帝はその恩を忘れず、皇帝になってから彼に皇帝の食事や衣服や車などを下賜し、都尉の地位を与えて「差し入れひとつで都尉の地位を得たけど、どうよ?」と尋ねたそうだ。







「性勤於稼穡」「光武事田業」(『後漢書』本紀第一上、光武帝紀上)などと言われている光武帝が、どうして官に拘束される羽目になったのだろうか。




連座や冤罪が現代よりはるかに厳しかっただろうから光武帝に非があったとは限らないが、ちょっと気になる。


それともどこか別の列伝などに書いてあるだろうか。