王莽ドリンク

末年、盜賊羣起、發軍撃之、將吏放縱於外。北邊及青徐地人相食、雒陽以東米石二千。
(王)莽遣三公將軍開東方諸倉振貸窮乏、又分遣大夫謁者教民煑木為酪。酪不可食、重為煩擾。
(『漢書』巻二十四上、食貨志上)

王莽の新王朝の末期、深刻な食糧難となり、王莽は対応に苦慮していた。



そこで蔵を開いて備蓄を貧窮者に振る舞うと共に、各地に使者を派遣して「木を煮詰めて『酪』(発酵飲料)を作る方法」を人々に教えさせたという。




だがその『酪』は実際には食用にできる代物ではなく、余計に手間がかかっただけだったのだという。






正直言って木を煮詰めて人の腹を満たせたとは思えないが、実際の調理法などがわからないので何とも言えないところもある。



木の種類とかによっては何か食用にできるものを錬成できたのかもしれないし。