大火事(意味深)

孫晧建衡二年三月、大火、燒萬餘家、死者七百人。
案春秋、齊火。劉向以為桓公好内、聽女口、妻妾數更之罰也。
晧制令詭暴、蕩棄法度、勞臣名士、誅斥甚衆。後宮萬餘、女謁數行、其中隆寵佩皇后璽者又多矣。故有大火。
(『宋書』巻三十二、五行志三、火)

呉の孫晧の時に大火事が起こった。



大火事はエロス大好きで女性とっかえひっかえしていると起こるものだ、と漢代の劉向は言っていたという。



孫晧がそういう人物であったことはまあ知っている人も多いだろう。後宮に一万人くらい女性がいたとか、皇后の璽綬を持つ者が何人もいたとか、そういう話が伝わっている。





なお、引用した『宋書』五行志三で火災の記事を見ると、三国時代で一番火災の記事が集中しているのは魏の烈祖明皇帝こと曹叡様の時のことである、ということだけ付け加えておく(晋の武帝の頃も結構起こっている)。