輔星

北斗七星在太微北、七政之樞機、陰陽之元本也。故運乎天中、而臨制四方、以建四時、而均五行也。魁四星為琁璣、杓三星為玉衡。
又曰、斗為人君之象、號令之主也。又為帝車、取乎運動之義也。
又魁第一星曰天樞、二曰琁、三曰璣、四曰權、五曰玉衡、六曰開陽、七曰搖光。一至四為魁、五至七為杓。樞為天、琁為地、璣為人、權為時、玉衡為音、開陽為律、搖光為星。
・・・(中略)・・・
魁中四星為貴人之牢、曰天理也。
輔星傅乎開陽、所以佐斗成功、丞相之象也。七政星明、其國昌。 輔星明、則臣強。
(『晋書』巻十一、天文志上)


中国における「北斗七星」は政治の中枢、陰陽の大元であるといい、伝統的に重要視されてきたらしい。




その中で「柄」の部分に当たる星の2つ目「開陽」(現代の星座でいうミザール)にくっついている小さな星のことを「輔星」と言い、この星は丞相の象徴なのだそうだ。




「輔星」と聞いてピンと来た人も多いだろうが、この星はあの有名な『北斗の拳』の「死兆星」のことである。



ただ、少なくとも晋あたりの頃の「輔星」に「見えたら死ぬ」などという話はないようだ。


もっとも、丞相の象徴がやけに強く見えるとしたら、王朝としては臣下が強すぎることになるので死(簒奪)の危機ではあるだろうが。






つまり、蜀漢においては輔星は諸葛亮の星ということだから、諸葛亮は出会った敵将に「北斗七星の側の星が見えるか?」と尋ねて回り、見えると答えた者だけと戦った、ということであろう(錯乱)。