筍泥棒ではない

昨日の記事でまた思ったんだが、やはり以前の記事では親孝行の権化である孟宗(孟仁)のことを「筍泥棒」と言っていた。



だがこれももしかしたら間違っていたかもしれない。




楚國先賢傳曰、(孟)宗母嗜筍、冬節將至。時筍尚未生、宗入竹林哀嘆、而筍為之出、得以供母、皆以為至孝之所致感。累遷光祿勳、遂至公矣。
(『三国志』巻四十八、孫皓伝注引『楚国先賢伝』)

孟宗の母がタケノコの季節でもないときにタケノコが欲しいと言い出し、孟宗が母の無茶振りに応えようと竹林に入って助けを求めたところタケノコが生えてきた、という。




この竹林も、よく考えたら孟家の竹林かもしれないし、誰が取っても特に咎められない竹林だったかもしれない。そうだとしたら、筍泥棒扱いは不当であろう。





というわけで、孟宗の名誉回復の巻、であった。