昨日の記事(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20160805/1470325272)だが、斉王司馬攸がこのような徹底した服喪を続けることに対し、兄であり皇帝である司馬炎はどう対応したのか?
これについては、以前の記事(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20141106/1415200309)が参考になるだろうと思う。
つまり、武帝の方も「三年の喪」を貫徹しようとし、それを大臣たちから止められているのだ。
実のところ、父司馬昭の後継者は危うく司馬攸になるところだったので、この兄弟の間には少し微妙な空気が流れていたであろうことは想像に難くない。
弟司馬攸の服喪が政治的な意図の無い純然たる服喪であったとしても、兄の方では自分の方が後継者にふさわしい、皇帝にふさわしいということを示すために、弟がやり遂げていることから逃げることは許されなかったのではなかろうか。