順陽王

有子十人、暢・歆最知名。
(司馬)暢字玄舒。改封順陽王、拜給事中、屯騎校尉、游撃將軍。永嘉末、劉聰入洛、不知所終。
(『晋書』巻三十八、扶風王駿伝)

司馬懿の息子の一人、扶風王司馬駿。



この子で扶風王を継いだのは司馬暢という者であった。



彼はいわゆる永嘉の大乱で行方知れずになったという。





時順陽王暢驕縱、前後内史皆誣之以罪。及(吾)彦為順陽内史、彦清身率下、威刑嚴肅、衆皆畏懼。暢不能誣、乃更薦之、冀其去職。遷員外散騎常侍。
(『晋書』巻五十七、吾彦伝)

本人の伝では至って平凡な王であったかのように書かれているが、そんな彼には驕り高ぶって好き勝手をしていたという側面もあったといい、自分の国を治めるために派遣された治民官を誣告して失脚させるような人物であった。



父の司馬駿は軍事面で功績があった人物であるが、ある面では父譲りの才能があったのかもしれない。