献帝の外見

獻帝起居注載策曰「孝靈皇帝不究高宗眉壽之祚、早棄臣子。皇帝承紹、海内側望、而帝天姿輕佻、威儀不恪、在喪慢惰、衰如故焉。凶徳既彰、淫穢發聞、損辱神器、忝污宗廟。皇太后教無母儀、統政荒亂。永樂太后暴崩、衆論惑焉。三綱之道、天地之紀、而乃有闕、罪之大者。陳留王協、聖徳偉茂、規矩邈然、豐下兌上、有堯圖之表、居喪哀戚、言不及邪、岐嶷之性、有周成之懿。休聲美稱、天下所聞、宜承洪業、為萬世統、可以承宗廟。廢皇帝為弘農王。皇太后還政。」
(『三国志』巻六、董卓伝注引『献帝起居注』)

少帝と何太后を廃して献帝を即位させる際の策によると、即位する陳留王すなわち献帝は「豐下兌上」という外見的特徴を備えていた、という。



何でもこれは五帝の一人「堯」と同じであったそうな。



明帝初生、豐下兌上、赤色似堯、終登帝位。
(『宋書』巻二十七、符瑞志上)


またこれは後漢の明帝の特徴だったそうである。




「豐下」というのはなんでもアゴ周りがふくよかということらしい。


「兌上」は逆に顔の上半分はスラッとしているということかもしれない(「兌」には「鋭」の意味もある)。



つまりオニギリ、おむすびみたいな顔ということか?





漫画から3Dモデルまで、何らかの形で漢の献帝をビジュアル化する方々の参考になれば幸いである。