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昨日のコメント欄にて「太史公自序の冒頭で名前が出る蒯聵と言う人物は、一体何なんでしょう?」というご質問をいただいた。


自司馬氏去周適晉、分散、或在衛、或在趙、或在秦。
其在衛者、相中山。
在趙者、以傳劍論顯、蒯聵其後也。
【注】
正義、五怪反。如淳云「刺客傳之蒯聵也。」
(『史記』巻一百三十、太史公自序)

確かに、よくわからない。



お恥ずかしながら自分もはっきりとした回答をできない状態ではあるのだが、それで終わるのも味気ないので、確たる根拠のない仮説で良ければ一つ提示しておく。




荊軻嘗游過榆次、與蓋聶論劍、蓋聶怒而目之。荊軻出、人或言復召荊卿。蓋聶曰「曩者吾與論劍有不稱者、吾目之。試往、是宜去、不敢留。」使使往之主人、荊卿則已駕而去榆次矣。使者還報、蓋聶曰「固去也、吾曩者目攝之!」
(『史記』巻八十六、刺客列伝、荊軻

「蒯聵」の「剣術で知られた家であったらしいこと」「『刺客伝』に何か書いてあるらしいこと」「趙の人であること」を一応満たしそうな人物として、この荊軻と揉めた「蓋聶」がいる。



字形は「ちょっと似ている」程度なので、同一人物であると断定するのは無理があるところだが、一応こんな可能性も無くは無いかな、くらいには思っている。