司馬遷の書を読んでみよう11

その10(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20160622/1466524746)の続き。



且西伯、伯也、拘牖里。李斯、相也、具五刑。淮陰、王也、受械於陳。彭越・張敖南郷稱孤、繫獄具罪。絳侯誅諸呂、權傾五伯、囚於請室。魏其、大將也、衣赭關三木。季布為朱家鉗奴。灌夫受辱居室。此人皆身至王侯將相、聲聞鄰國、及罪至罔加、不能引決自財。在塵埃之中、古今一體、安在其不辱也!
由此言之、勇怯、勢也。彊弱、形也、審矣、曷足怪乎!且人不能蚤自財繩墨之外、已稍陵夷至於鞭箠之間、乃欲引節、斯不亦遠乎!古人所以重施刑於大夫者、殆為此也。
(『漢書』巻六十二、司馬遷伝)

西伯(周の文王)は諸侯だったが幽閉され、李斯は丞相だったが五種類の刑罰のフルコースを振る舞われ、ワイインコ韓信は王だったが捉えられて枷を嵌められ、彭越・張敖も王だったが獄に繋がれ、周勃は呂氏を誅殺して強い権力を持っていたが獄に繋がれ、魏其侯竇嬰は大将だったが囚人となり、季布は朱家の奴隷となり、灌夫も捕えられて辱めを受けた。


これらの人々は王や侯、妻妾や将軍といった者たちで、名声は隣国にまで鳴り響いていたが、罪があって捕えられることになると、自決することはできなかった。獄という塵の積もった場所では今も昔も変わらないのである。どうして辱めを受けないなどということがあろうか。


そこから考えると、勇敢であるか怯懦であるか、強いか弱いかというのは形勢によって変わるということがつまびらかにできる。怪しむことなどないだろう。


拘束される前に自決できず、獄で鞭打ちなどを受けてから節義を守りたくても、もう程遠いことなのである。


古から刑を大夫に適用することに慎重であったというのは、こういった事情からなのである。




司馬遷によると、どんな立派な王侯貴族でさえも獄に繋がれて辱めを受け、士大夫としての節義を守ることができないことがある、という。



「刑は大夫に上らず」という有名な一句は、司馬遷の言うところでは「節義を守るべき士大夫が守れないという事態に陥らないよう、士大夫が刑を受ける状況になっても自決して誇りは守るようにする」ということらしい。





つまり、獄に入れられて明日をも知れぬ身であると考えられる任安に対して、「君は誇りを守るために拘束されるより先に自決すべきだった。早く自殺するべきなんだ」と指摘しているということなのだろう。