猿は死を覚悟した

二衞始制前驅・由基・強弩為三部司馬、各置督史。
(『晋書』巻二十四、職官志)

晋の左右衛将軍は前駆司馬・由基司馬・強弩司馬の三部司馬を置いたという。





前駆と強弩については字面から大体の役割や装備が推察できるが、由基というのは何であったか。

師古曰「養、養由基也、楚之善射者。游睇、流眄也。楚王使由基射猿、操弓而眄之、猿抱木而號、知其必見中也。李、李廣也、夜遇石、以為猛獸而射之、中石沒羽也。」
(『漢書』巻一百上、叙伝上、注)

養由基、楚之善射者也、去楊葉百歩、百發百中。
(『漢書』巻五十一、枚乗伝)

というわけで、春秋時代の楚の弓の名手である「養由基」の名を取っていると思われる。



全盛期の養由基は弓を取って猿を見ただけで猿は死を覚悟した、細い柳の葉を百歩先から百発百中であった、などと言われていたらしい。



ということは、由基司馬というのは弓部隊なのだろう。


大型の装備していたであろう強弩司馬と対になるような存在だったのではないか、と想像される。