魏の任子と司馬懿の怨み

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20140630/1404054329


http://d.hatena.ne.jp/T_S/20140814/1407944346





昨日の楽安王についての話で、彼は人質であったのではないか、という推測を述べた。




これは、上記の過去記事にあるように、三国時代では各地の太守や臣従した半独立勢力に対する「任子」と呼ばれる人質制度があり、魏の場合は鄴へ集められていたらしい、という点からの憶測である。




これに対し司馬懿が気分を害したというのは、幼い孫を取られたということもあったかもしれないが、それ以上に、司馬懿にとってみれば曹爽らは自分たち司馬氏を一体となって進むべき政権担当者ではなく、人質を取ることを要求される武将・方鎮の一人でしかないと認識していたことになるから、ではなかろうか。


いわば、司馬懿は自分が曹爽の同盟者ではなく配下の一人といったような扱いをされたと感じ、それを恨んだ、ということになるだろう。