袁術の羊、神になる

漢、齊人梁文好道、其家有神祠、建室三四間、座上施皁帳、常在其中、積十數年、後因祀事、帳中忽有人語、自呼高山君、大能飲食、治病有驗。文奉事甚肅。
積數年、得進其帳中、神醉、文乃乞得奉見顔色。謂文曰「授手來!」文納手、得持其頤、髯鬚甚長。文漸繞手、卒然引之、而聞作羊聲。座中驚起、助文引之、乃袁公路家羊也、失之七八年、不知所在。殺之、乃絶。
(『捜神記』)

漢代、梁文という者が神を祀るための部屋を作り、座の周りを黒い帳で囲んで祭祀を続けていた。



十数年後、彼の祭祀が実を結んだのか、その帳の中から「我は高山君である」という声が聞こえ、食べ物や飲み物をたくさん飲み食いしたが、病気を治すというご利益があったので、梁文はその神「高山君」に恭しく仕えたのであった。




その数年後、梁文は帳の内側まで入ることができるようになった。


ある時、神は酒に酔い、梁文の「お顔をお見せください」という願いに対し「手を出せ」と言い出した。


梁文が手を出してアゴに手が触れたところ、ヒゲがとても長いことがわあった。


梁文はそこで手を引っ張ったところ羊の声が聞こえ、他の者が彼を助けて引っ張り出したところ、なんとその帳の中からは羊が出てきたのであった。


羊を殺したところ、ご利益も無くなったということである。




その羊は何年も前にいなくなった袁術の家の羊であったという・・・。






袁術の羊が神と崇められたが正体が露見し殺される、という話は意味深であるが、袁術と謎の羊の関係を色々と想像できるではないか。



袁術ファンならぜひ押さえておきたい。