魏の敦煌太守

少帝正始元年四月戊午、月犯昴東頭第一星。十月庚寅、月又犯昴北斗四星。占曰「月犯昴、胡不安。」二年六月、鮮卑阿妙兒等寇西方、敦煌太守王延破之、斬二萬餘級。三年、又斬鮮卑大帥及千餘級。
(『晋書』巻十三、天文志下)

魏の正始年間、鮮卑敦煌方面を攻めたが、時の敦煌太守王延はそれを破り二万以上もの首級を挙げた、という。




二万もの首級ということは相当大きな戦いであったように思えるが、『三国志』ではこのような戦や敦煌太守の大勝といった記録を見かけなかった気がする。


私が憶えていなかっただけかもしれないが、載っていないということで良いとすれば、これはなかなか興味深い話だ。