さて、後漢の官職の上で最も高い地位は三公や大将軍以下の将軍たちであるが、それと同格以上の存在もまた存在する。
それが「太傅」である。
太傅、古官、高后元年初置、金印紫綬。後省、八年復置。後省、哀帝元壽二年復置。位在三公上。
(『漢書』巻第十九上、百官公卿表上)
太傅、上公一人。
本注曰、掌以善導、無常職。
世祖以卓茂為太傅、薨、因省。其後毎帝初即位、輒置太傅録尚書事、薨、輒省。
(『続漢書』志第二十四、百官志一)
「太傅」とは、皇帝の「もりやく」のことである。
基本的に即位直後の若く経験の浅い皇帝の時に置かれ、皇帝が独り立ちすると置かれなくなる。
皇帝の政務を全般的に補佐するという趣旨なのだろう。
皇帝自身の教導役ということで、三公よりも地位としては高いらしい。基本的には三公経験者などのかなりの地位と見識が認められる人物が就任する(という建前である)。
皇帝にとって「師匠」に当たるので、皇帝が命令を下すという関係では無く、むしろ皇帝の方が礼遇しなければいけないし、太傅の言うことは師匠の言葉なので無碍にできないことになる。
前漢ではめったに置かれなかったが後漢以降ではしばしば置かれている。
太師・太保、皆古官、平帝元始元年皆初置、金印紫綬。太師位在太傅上、太保次太傅。
(『漢書』巻第十九上、百官公卿表上)
また、「太傅」の更に上位として「太師」という官職もあった。
これは前漢末、事実上王莽の時代に使われたが、それ以降はずっと使われなかったのだが、あの董卓が名乗ったことで有名である。
董卓は地位の上で三公を超える太傅を更に超えたことになるのだ。
こういった官職であるから、三国志の時代における就任者も司馬懿や諸葛恪といった大物ばかりである。
一つ注意しておかないといけないのは、この「太傅」と「太子太傅」は全くの別物であるということだ。
後者の「太子太傅」は「皇太子のもりやく」のことで、「太傅」と比べると地位はそこまで高くはない。
混同してしまうと訳が分からないことになってしまうので要注意である。