このような記事があるわけだが、確かに「都郷」というのが具体的に何を指すか、についてはよくわからないところがある。
濟陽。有武父郷。左傳桓十二年「盟于武父」、杜預曰縣東北有武父城。縣東南有戎城。縣都郷有行宮、光武生。
(『続漢書』郡国志三、陳留郡)
そして、その生誕の地とは光武帝の父がその済陽県令だったときの県令の官舎のことである。
つまり、少なくとも済陽県の場合は「都郷」には県の長官の官舎があり、おそらくは執務を行った郷がそこであったということになる。
これがすべての県に当てはまるかは不明だけれど、長官がいるところということは「県庁所在地」が「都郷」とイコールであったという仮説を立てることはできるのではないだろうか。