もう一つの断袖

常與上臥起。嘗晝寢、偏藉上褏、上欲起、(董)賢未覺、不欲動賢、乃斷褏而起。其恩愛至此。
(『漢書』巻九十三、董賢伝)

漢の哀帝と彼の愛する董賢のいわゆる「断袖」(自分の服の袖を下敷きにして寝てしまった董賢を起こしてしまわないよう、その袖を切り取って起きた)の故事は有名である。




だが、『拾遺記』に記される後世の異伝と思われる記事には、まったく違う「断袖」の由来が記されていた。




哀帝尚淫奢、多進諂佞。幸愛之臣、競以妝飾妖麗、巧言取容。
董賢以霧綃單衣、飄若蟬翼。帝入宴息之房、命聖卿易輕衣小袖、不用奢帯脩裙、故使宛轉便易也。宮人皆效其斷袖。又曰、割袖驚其眠。
(王嘉『拾遺記』)

それによると哀帝の私的な宴の時間になると董賢に小袖の衣服に着替えるよう命じ、いろいろと動くのに便利なようにしていた(意味深)のだといい、それを他の後宮の人間たちも真似したという。




これはこれでいかにもありそうな由来ではあるが、『漢書』の話の方が哀帝の細やかな情愛が伝わるので、個人的には『漢書』を取りたいところである。