自刃の習俗

羌胡俗恥病死、毎病臨困、輒以刃自刺。(訒)訓聞有困疾者、輒拘持縛束、不與兵刃、使醫藥療之、愈者非一、小大莫不感悦。
(『後漢書』列伝第六、訒訓伝)

後漢時代の羌・胡の習俗として、病死を恥じるというのがあったそうだ。



そこで寝込むような病気になると、すぐ刃物で自刃して果てていたという。




だが護羌校尉となった訒訓はその習俗をよしとせず、自分の管轄下で病気となった者がいると聞くと拘束して刃物を奪ってしまい、それから医者に診せて治療を行ったので、死なずに助かった者が何人もいた。



そこで麾下の羌・胡はみな彼の行いに感激したのであった。




「病人は足手まといになる」「病気になったらなかなか治せない」という厳しい環境がそういった習俗を生み育てたのかもしれないが、元通り治るなら彼らとて好き好んで自刃したいわけではないので、命を惜しんで無理にでも治療を受けさせる訒訓の仁愛は彼らにも通じた、ということのようだ。




ここで彼の情にほだされたのが時には漢の将軍に率いられて戦い、後漢末には漢族と手を組んで反乱を起こした湟中の義従胡などであるわけで、羌・胡と漢族の融和という点ではある程度成功したと言えるのかもしれない。