霊州

靈州。惠帝四年置。有河奇苑、號非苑。莽曰令周。
【注】
師古曰「苑謂馬牧也。水中可居者曰州。此地在河之州、隨水高下、未嘗淪沒、故號靈州、又曰河奇也。二苑皆在北焉。」
(『漢書』巻二十八下、地理志下、北地郡)

北地郡の霊州県の「霊州」という名前の由来は、「河の中州=州」にある城であるが、いまだかつて水没したことがない「霊的な中州」、というものであるそうな。




ということは、この城は河の中州に位置していたということになる。



もしかしたら、河が天然の堀として機能していたのだろうか。







この霊州は司馬昭が蜀の姜維との闘いの中で、奥深くまで進出してきた蜀軍を破り、それによって姜維の脅威を退けたという場所なのだそうだ。



蜀がここを狙って軽騎兵を送り込んだ理由は、いったん陣取ってしまえば守りやすいという地勢的なものがあったからか?