及高貴郷公之弒也、朝臣舉哀、(王)祥號哭曰「老臣無状」、涕涙交流、衆有愧色。
(『晋書』巻三十三、王祥伝)
昨日までの記事で言っていた高貴郷公死亡時のことだが、司馬孚と陳泰のほかにも強い反応を示した人物がいた*1。
二十四孝の三大泥棒の一人*2、鯉泥棒の王祥である。
だがよく見ると朝臣が喪礼を行う際のようであるから、これは殺害現場まで駆けつけていた司馬孚・陳泰とは趣が少々異なるようである。
「えっじゃあ王祥さんは高貴郷公殺害直後はどうしてたの?その時は行かずに、対応が決まってから初めてめっちゃ大泣きして自分を責めたりしてたの?」
・・・みたいなことは言わないでおこう。
殺害直後は何か行きたくても行けない事情があったかもしれないし、そもそも本当は王祥さんも陳泰と一緒に行っていたかもしれないし。
記録には残ってないようだけど。