曹丕からの手紙

(曹)仁少時不脩行檢、及長為將、嚴整奉法令、常置科於左右、案以從事。鄢陵侯(曹)彰北征烏丸、文帝在東宮為書戒彰曰「為將奉法、不當如征南邪!」
(『三国志』巻九、曹仁伝)


曹彰が烏丸征伐へ出撃する際、曹丕はこういった書を送って曹彰を戒めたという。



「将となって法を奉じるなら、征南将軍曹仁のようであるべきではないか?」



曹仁は若い頃はヤンチャだったが将となってからは法に厳しくなったといい、曹丕曹彰にもそれを見習えと言っているわけだ。



嗚呼麗しき兄弟愛。





ところで、この時期は夏侯淵が西辺で大功を立てた後であり、北辺に出征する曹彰にも「夏侯淵のように大功を立てて来いよ!」とは言わなかったのだろうか?





思うに、曹仁のように厳格なタイプは一般に臨機応変な攻めというのはどちらかというと得意ではないもので、夏侯淵のようなイケイケタイプの方が(ハイリスクだが)ハイリターンの可能性は高いだろう。





そして、すでに曹丕が太子になっているとはいえ、北辺で大功を立てることで後継者候補として一気に注目されるようになるかもしれない、というのが曹彰の立ち位置であるといえる。






となると、曹丕の戒めは単純に弟の身を案じたというだけでは終わらないかもしれない。



功績を立てられそうな臨機応変、電光石火の攻めよりもできるだけ堅くいくように、と言っているわけだから。





言外に「よもや太子の座を狙って軍功に焦ったりはしないだろうな・・・?」という曹丕からの牽制が含まれている、と考えてもよいのではないだろうか。