マインドフレイヤー

先是秦穆公時、陳倉人掘地得物、若羊非羊、若猪非猪、怪、將獻之。道逢二僮子、謂之曰「子知彼乎、名為■、常在地下食死人腦。若欲殺之、以栢東南枝指之、則死矣。」■因言曰「此二僮子、名為寶。得其雄者王、得其雌者霸。」於是陳倉人遂棄■而逐二僮子、二僮子化為雉、飛入林。陳倉人以告穆公、穆公發徒大獵、得其雌者、化而為石、置之汧・渭之間。至文公、為之立祠、名曰陳寶祠。雄南飛集南陽穰縣、其後光武興於南陽
【■はけものへんに「昷」】
(『宋書』巻二十七、符瑞志上)


秦の穆公というから春秋時代のこと。



秦の陳倉である者が羊のようで羊でない、猪のようで猪でないという謎の生き物を地中から発見し、それを献上しようとした。



そんな時に謎の男女ふたりの子供に出会った。


その子らが言うにはその謎の生き物は死人の脳を食らう化け物なのだそうだ。マインドフレイヤーかよ。



化け物は化け物で子供たちを指して言った。



「その子どもは「宝」という名前で、男をわが物にした者は王となり、女をわが物にした者は覇者となる」



化け物を捕まえていた者はそれを聞くと化け物を放置して子供たちを捕えようとしたが、子供たちは雉にトランスフォームして逃げてしまった。たぶん化け物も逃げおおせたのだろう。




そのことは秦の穆公に報告され、穆公は刑徒総出にて山狩りが行ったものの、女の方を見つけたはいいが謎のパワーを受けて石になってしまった者を発見したにとどまった。





で、その石を祀ったのが少なくとも前漢までは祭祀が残っていた「陳宝祠」だということである。






死人の脳をすすって生きる怪物怖い。

しかも人間の言葉まで使いこなすのがまた怖い。戦ったら超強そう(ゲーム脳)。