生き残る予言

(王)浚以父字處道、為「當塗高」應王者之讖、謀將僭號。胡矩諫浚、盛陳其不可。浚忿之、出矩為魏郡守。前渤海太守劉亮・從子北海太守搏・司空掾高柔並切諫、浚怒、誅之。
(『晋書』巻三十九、王浚伝)

魏・晋の王沈の子、王浚。



彼は西晋末期に鮮卑を使って北方でブイブイ言わせてた(最後は石勒に殺された)。




そんな彼はまあありがちな話だが僭称を考えたらしく、その理由づけとして「当塗高」の予言を用いようとしたという。




王沈の字は「処道」なので、「塗(道)に当たりて高し」につなげたようだ。





なんと王莽の時にはあったらしい(下手すると前漢からあったかもしれない)「代漢者当塗高」の予言は晋の時代まで生き残っていた。


大したベストセラーである。





しかし、この予言は「代漢者当塗高」だから王浚は晋ではなくて漢を継ぐということにするつもりだったんやろか・・・?