郭淮の脅迫文

郭淮作關中都督、甚得民情、亦屢有戰庸。淮妻、太尉王凌之妹、坐凌事當并誅。使者徴攝甚急、淮使戒裝、克日當發。州府文武及百姓勸淮舉兵、淮不許。至期、遣妻、百姓號泣追呼者數萬人、行數十里。淮乃命左右追夫人還、於是文武奔馳、如徇身首之急。既至、淮與宣帝書曰「五子哀戀、思念其母、其母既亡、則無五子。五子若殞、亦復無淮」宣帝乃表、特原淮妻。
(『世説新語』方正第五)

魏の関中都督郭淮の妻は謀反の罪で司馬懿に捕まった王凌。






郭淮の妻は連座する運命だが、周囲の人間には郭淮に反乱を勧める者もいたそうだ。反乱してしまえば妻は連座せずに済む。




いよいよ妻が連行されるというとき、数万人の民がそれを泣き叫んで見送るという事態が起こり、郭淮は方針を変えた。




司馬懿に対して「妻がいなくなれば私の子たちは死んでしまうでしょう。子たちが死んでしまったら私も無事では済まないでしょう」と手紙を送り、妻の助命に成功したのであった。





これって、「妻を連座させるなら私も死ぬ気でやっちゃいますよ?いいんですか?」という一種の脅しなのだろう。



この時の関中の士気の高さをバックに、命がけでやることやっちゃう、つまりは反乱起こしちゃうかもしれませんよ、と言っているわけだ。






この話自体は家族を守った美談と言っていいと思うが、司馬懿を脅した郭淮の姪が賈充の有名な後妻だというつながりはなかなか興味深い。